Essay

転機

 私は、少数派だと思うが、通信教育で教員免許を取得した。
 私が受講した佛教大学・通信教育は、各科目のレポートを書き、それに合格すると地方試験で筆記試験を受けるという二段構えになっていた。すでに持っていた大学の学位に教職単位だけを後付けしていたのだが、教育実習や佛教大学キャンパスのある京都府に赴いての英会話授業なども併せ、大学時よりも遥かに単位取得・学業に追われる日々を味わった。
 ある日の地方試験で会場を出ようとすると、飲み会に来ませんか、と通信学生たちからの誘いがあった。
 私は下戸だが、通信教育で学ぶ人たちと懇意になりたいと、同席することにした。
 私と異なり、通信教育の学生は、諸事情により大学に通えなかった人が多くいた。
 私の隣に座った男性は、足が不自由な30代の男性だった。
 車椅子を携え、毎月佐賀や福岡の分会場に足を運ぶ彼の労苦を思った。
 なぜ学ぶのですか、と伺うと、彼は、
「福祉を勉強して、社会福祉を良くしたいとです」
 と照れ顔で語った。
 私は、彼をかっこいいと思った。そして、大学では呑気に部活やアルバイトにかまけ、民間企業では落ちこぼれて、「教師でも」という腹で復学していた愚かしい自分を鑑み、深く恥じ入った。
 彼の精神に追いつきたいと、私は日に20種類の英語学習と、教科指導法研究、教材作成に心血を注いだ。また英語教師セミナーや英会話学校に通い詰めた。
 学べば学ぶほど、無知を思い知らされる。また、学業の楽しさ・奥深さを発見する。私は今日、校務に追われ、高校・大学時の一割も勉強ができない。自分の仕事の遅さに忸怩たる思いである。
 もし神が現れて、私に1つ願いを叶えてくれるとしたら、私は学生になりたい。

Essay