Essay



君の人生


 私の両親は、私が小学生のとき清水建設(亡父の勤め先)で働きたいと作文に書いたのを読んでたいそう喜んだが、その後私に塾へ行きなさいであるとか、どこの学部に進みなさいといった指示は一切しなかった。私の関心はその後、ゲームプログラマーから獣医、英語、果ては武道に及び、そしていま教職に就いている。
 私学中高一貫コースということで教え子には医学部志望者は多いのだが、不本意進学の例も少なくないようである。親が医師だから、また親が医師になりなさいと言うから、という理由で医学部を目指している生徒が少なくない。最初の卒業生には2人いて、1人はスポーツジャーナリストに憧れ、もう1人は物書きになりたがっていた。ジレンマである。開業医であればそこを継ぐことができ安泰が約束されようが、医療が本懐でなければ仕事は楽しくない。
 妻と私は真逆人間で、よく衝突するが、子育てに関しては指針が完全に一致している。それは、子どもたちそれぞれに人生を選ばせよう、というものである。
 人は物心がついたら一人の人間である。決して親の人生の肩代わりを強いられる人形ではなく、親の果たせなかった夢を追う駒でもなく、世のお金を全て積んでも買うことのできない一度の「人生」を授かっている無限の可能性を秘めた人財である。助言を授けることはあっても、そこに同意がない限り、監督然として親が歩む先を厳命することではないと信じている。
 4歳になる次女は、私が自宅で仕事をしていると、「はるちゃんも、『英語屋さん』になる」と私に言ってくれる。無上の喜びだが、せがまれない限り、私が娘たちに英語を教えることはない。
 職業に貴賎はなく、人の数だけ魅力や特性が存在する。自分がこの道に一生を捧げる、とするものに向かって邁進しないで、それで何が人生だろうか。



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